マッピン&ウェッブについて
マッピン&ウェッブの企業史
マッピン&ウェッブ(Mappin & Webb)の歴史は、複数の家系と企業系譜が交差する複雑なもので、その起源は18世紀後半から19世紀初頭にさかのぼります。

起源と初期の展開
1775年、英国・シェフィールドにてジョナサン・マッピンが銀細工工房を創業したことが、現在のマッピン&ウェッブの起源の一つとされています。この工房は後に「Mappin Brothers」となり、19世紀中頃にはロンドン進出を果たし、「Mappin & Company」「Mappin, Webb & Co.」へと発展していきました。

一方、より企業としての展開における直接的な母体とされているのは、1810年にジョセフ・マッピン・シニア(1766–1841)が設立した「ジョセフ・マッピン&サン」です。1828年にはその息子ジョセフ・マッピン・ジュニア(1794–1841)が独立し、ジョージ・アランデルとともに「アランデル&マッピン」を設立。1835年にはアランデルが引退し、同社は「ジョセフ・マッピン」として再出発します。この年に、太陽を模した商標が登録されました。

マッピン・ブラザーズの時代
1841年のジョセフ・ジュニアの死後、長男フレデリック・ソープ・マッピンが名目上の代表となり、弟のエドワード、ジョセフ・チャールズ、ジョン・ニュートンと共に事業を継承。彼らはまず「ジョセフ・マッピン&ブラザーズ」として活動し、1852年には社名を「マッピン・ブラザーズ」と改めました。

同社は1851年、シェフィールドに「クイーンズ・プレート&カトラリー工場」を新設し、翌年のロンドン万国博覧会に出展。ロンドンのオックスフォード通りやコーンヒルにショールームを開設し、事業を大きく拡大していきました。
1857年には末弟ジョン・ニュートン・マッピンが正式にパートナーとして参加。しかし、1859年に「マッピン・ブラザーズ」は解散し、事業と社名はエドワードおよびジョセフ・チャールズが継承。フレデリックは引退します。
マッピン&ウェッブの誕生と家族間の争い
ジョン・ニュートン・マッピンは独自に「マッピン・アンド・カンパニー」を設立し、これが「マッピン、ウェッブ・アンド・カンパニー」を経て、1868年に「マッピン&ウェッブ」へと改称されます。この社名に含まれる「マッピン」の使用を巡って兄弟間で法的対立が生じ、兄たちは差し止めを求めて訴訟を起こしましたが、ジョン・ニュートン側が勝訴。この係争は1890年代まで続きました。
「マッピン&ウェッブ」はシェフィールドの「ロイヤル・カトラリー・ワークス」(当初はアイヤー通り、後にノーフォーク通り)を拠点とし、ロンドンの主要ショッピング街にも店舗を展開。1873年にはジョセフ・チャールズが引退、1875年にはエドワードが死去するなど、創業メンバーが次々と退いた後、1890年に「マッピン・ブラザーズ」は「ゴールドスミス&シルバースミス社」に売却されました。
統合とブランド確立
1898年、「マッピン&ウェッブ」は株式会社化され、ジョン・ニュートン・マッピンとその子どもたち(ウォルター・ジョン、ハーバート・ジョセフ、スタンリー・アーサー)の完全な支配下に置かれました。1902年には「マッピン・ブラザーズ」も買収・統合され、40年以上にわたる兄弟間の分裂は終焉を迎えます。
1913年にジョン・ニュートンが死去した後は、長男ウォルター・ジョンが会長に就任し、1923年にはチャールズ・イーヴス、1933年から1946年まではハーバート・ジョセフ・マッピン、1959年まではJ.N.マッピン・フレイザーが後継し、同族経営を維持しました。

経営再編と現代への展開
1963年、「マッピン&ウェッブ」は「エルキントン」「ウォーカー&ホール」と合併し、「ブリティッシュ・シルバーウェア社」となりましたが、この統合は成功せず、1971年にはシェフィールドの工場が閉鎖されます。
その後も「マッピン&ウェッブ」のブランドは高級ジュエリーと銀製品の象徴として残り、2005年にはアイスランドの複合企業「バウガル」に買収されました。バウガルの破綻(2010年)後は、「オーラム・ホールディングス」にブランド資産が譲渡され、2013年にはApollo Global Management傘下のファンドが全体を取得。2018年には社名が「Watches of Switzerland Group」に変更され、翌年にはロンドン証券取引所に上場しました。
王室との関係と文化的意義
1897年以降、「マッピン&ウェッブ」は英国王室よりロイヤルワラント(王室御用達)を授与され続けており、過去125年以上にわたり5代の君主に銀細工を提供しています。


エリザベス2世女王陛下および現国王チャールズ3世からの認定も受けており、2017年には同社の熟練職人が王室宝飾職「クラウン・ジュエラー」に任命されました。この役職は、ロンドン塔に保管されている王冠宝器の管理責任を担う極めて名誉あるものです。

また、ヴィクトリア女王のジュビリーネックレスの製作、ロシア帝国・日本皇室への納品、ライダーカップやロイヤルアスコットのトロフィー制作など、文化的に重要な場面にも貢献しています。

クラウン・ジュエラーを務めるマッピン&ウェッブは、クラウン・ジュエルの年次メンテナンスを担当するほか、王室の洗礼式や国会開会式など、王室の重要な公式行事にも参列する役割を果たしています。

マッピン&ウェッブ、ロンドンのオールドボンドストリート店
建築と大衆文化における存在
1870年にロンドンのバンク地区、ポールトリーとクイーン・ヴィクトリア・ストリートの交差点に建てられた本社ビルは、ネオ・ゴシック様式の優美な建築でしたが、1994年に「No.1 Poultry」の開発に伴い取り壊されました。また、1955年の映画『リフィフィ』では、パリのマッピン&ウェッブ宝石店が舞台として登場するなど、大衆文化にもその名を残しています。
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